織田信長さんがいなくなった世界
本能寺で織田信長さんが明智光秀さんの謀反により死んでしまいました
明智光秀さんは・・・
「信長様この光秀・・・最後まで、背ききりました」
と言い残して最後に少し微笑んで息を引き取ります
「信長様はしんだ・・・じゃが世界は変わったか?」
「何も変わっとらん・・・戦、戦の毎日じゃ」
「信長様のやり方が正しかったとは思わん」
「じゃが、あの方は確かに前に進んどったんさ」
「わしも前に進むと決めたんじゃ」
「信長様や光秀に代わり、日本を変えるために」
「・・・わしも信長様のようになるかもしれん」
自分の力で日本を変える覚悟を決めたみたいです
その覚悟は・・・
徳川家康さんを倒した後
家康さんに土下座をして講和してほしいとおねがいします
そのお願いを家康さんは受け入れました
これで平和な世の中が訪れるはず
「ようやく笑って暮らせる世になったね、お前様」
めでたしめでた・・・
し、とはいかなかったんだな
ある日河原で秀吉さんと家康さんが話をします
「何万もの恨みつらみを抱えつつ、先にすすまにゃならん」
「天下を守らにゃならん」
「そうせんと墓がもっと増えてまうわ・・・」
天下人としての覚悟を家康さんに語ります
家康さんはなぜそんな話を自分にするのかと聞きますがはぐらかされます
この後秀吉さんは病気で亡くなってしまったみたいです
あとを徳川家康さんに託したかったのかな?
この豊臣秀吉さんが死んだことによって起きた争いが関ケ原の戦いだったんですね
わたし歴史知らなすぎや・・・
この関ケ原の戦いが豊臣秀吉さんと徳川家康さんの戦だと思ってたなんて言えない
戦場に立つ徳川家康さんは言います
石田三成さんは自分がどれほどの重荷を背負ってここに立っているのかを知らない
「不義を為し、恩を踏みにじり」
「家臣の忠義を盾に生き抜いてきたは何の為か」
「いざ、泰平の世を成さん!」
戦が始まってみると・・・
「光成め、上から命令する気か?我らは、この場で戦況を見守らせてもらう」
「家康殿、私は寝返り、増援を止めまする」
「ゆえに毛利家のこと・・・なにとぞよしなに・・・」
「小早川秀秋ら、東軍へ寝返り!」
石田三成さんはあまりみんなに信頼されていなかったのか
次々と裏切る方が出てきます
「秀吉様の恩を仇で返すとは・・・」
「その不義、俺がただしてくれよう!」
「不義と罵りたくば、罵るがよい・・・」
「わしは義で片づけられぬほどの重き荷を背負うておる!」
「光成、その執念、敵ながら見事」
「お主の想いをも背負い、わしは歩もう」
関ヶ原の戦いから15年後に最後の戦いが訪れました
関係が悪化した豊臣を天下泰平のために滅ぼす決意をしたみたいです
天下統一の章のラストだからか緩い難易度なのに敵が強い・・・
しかし泰平の世のために負けるわけにはいかない!
さようなら・・・豊臣秀頼さん
真田の章のラストがここにつながっていたんだな
激闘の末、徳川家康さん自ら止めを刺します!
「幸村、見事な最期であった」
「戦国が今、終わった・・・」
「真田幸村 日の本一のつわものなり」
慶長20年(1615年)
徳川家康の下
戦国乱世は終結した
恥ずかしながら歴史全然知らなかったのでこんな話だったんだと今更知りました
戦国時代ってこんなんやったんやなーって友達に話したら
それ小学校で習う歴史やで・・・と言われました・・・
なんてこった!
一通り終わったので流浪演武を今はあそんでいます
なしこ